【その1】

こんにちは、私は喜六です。上方落語によく登場し、自分で言うのもおかしいのですが、どこか憎めない、いちびり(お調子者)キャラクターですね。噺の中では、喜ィ公とか喜ィさんと呼ばれています。
 
落語ですので、私の年齢や容姿はお客さんの想像にお任せということになっています。例えば、金田一耕助と聞けば、映画やドラマのイメージで、石坂浩二、古谷一行、といった俳優さんを思い浮かべますが、落語は想像の芸ということで、お客さんが百人いたら喜六のイメージは百通りということですね。
 
私と一緒に上方落語に登場するのが清やん(清八)というキャラクターもおります。清やんは私のボケにしっかりとツッコミを入れてくれます。また、清やんとは、よく一緒に出掛けます。今年の夏は暑かったので、大川に夕涼みに行きました。「遊山船」という噺です。
 
11月に入って急に秋めいてきたので、旅行にもちょうどよい時候となってきました。上方落語には、東の旅という伊勢参りの噺があります。大阪と奈良の境にある暗峠はほんと急な登り坂。ぜひどうぞ。
 冬になれば、あたたかいうどんが食べたくなります。持ち合わせの銭が無い時は、「時うどん」という噺はいかがでしょうか。そして、来年の春には野崎詣りに行こうと思っています。
 
さて、本日の高槻市民寄席で、私(喜六)が登場する噺があるのか、無いのか、そこはお楽しみということで、今後ともご贔屓のほどよろしくお願いします。



             <令和7年11月16日 第141回高槻市民寄席プログラムより>
 【その2】  〜私の思い出(小学生時代)〜

歩鱈小酔がここ高槻の地に初めて足を踏み入れたのは、たしか、平成9年7月、グリーンプラザ1号館で開催された第46回駅前寄席のお手伝いに来た時です。当時、アマチュアの落語会は初めてでしたが、本格的に落語会をやっておられて感心したものです。そして、同年9月の第47回の駅前寄席で初高座にあがったのですが、落語口調には程遠く、棒読み状態でしたが、とにかく大きい声だけを出すことだけ意識したことと、お客さんの応援があったことを覚えています。
 
人前で喋るということは、あまり得意ではなかったのですが、思い返すと、小学生の時分には、結構、そんな機会があったことを思い出しました。5年生になると委員会活動というのがあり、集会委員をやっていました。私の通っていた小学校は毎朝、運動場に集まって朝礼がありましたが、雨で運動場に出ることができない日は、高学年の集会委員が、低学年のクラスに行って、1時間目の授業開始までの15分ほどの時間、紙芝居をしたり、ゲームをしたりして、子供たちを相手に奮闘しました。ちなみに、先生たちは、どうしたのかというと、この朝礼の時間帯は、職員会議だったのです。私も2年生のクラスを半年、担当して、子供たちが退屈しないような企画を考えたものです(紙芝居が一番多かったような)。まだ、落語の「ら」の字も知らない時分の思い出です。



             <令和8年5月17日 第144回高槻市民寄席プログラムより>
 【その3】  〜北の旅〜

上方落語の北の旅と言えば、古典落語「池田の猪買い」である。大阪船場の丼池(どぶいけ)から大阪府池田市へ猪の肉を買いに行くストーリーで、自分の足だけが頼りという時代は、一日がかりの旅であった。
 
さて、私(歩鱈小酔)の「北の旅」はというと、北海道は何度か旅しましたが、今回は北海道から大阪までの鉄道旅の話です。
 
時は平成14年8月2日、日本最北端の駅「稚内」で青春18きっぷを購入して、1本目の列車(稚内10:58発の名寄行き)に乗り込む。初日は、夕刻に中富良野駅で下車して宿泊。2日目は、中富良野駅から3本の列車に乗り継ぎ、札幌で宿泊。3日目は、札幌から小樽方面へ。普通の人は苫小牧方面に向かうのだが、あえて、山ルートを選択。小樽から倶知安を経て長万部。一昔前なら蒸気機関車が喘ぎながら越えていた難所である。
 
長万部から海岸沿いに函館行きの列車に揺られながら、名物いかめしを食す。夕刻、函館に着いて、特急日本海4号(函館始発の大阪行き)を待つが、津軽線の悪天候の影響で、青森始発になるというアナウンス放送が流れている。函館でのんびりしている暇はなく、急きょ、快速海峡号の青森行きに乗車し、青森で特急日本海4号に無事、乗換え。そのまま寝台客車(2段ベッド)で就寝して、翌朝(4日目)、大阪駅に到着。
 
列車に揺られ、北の大地の景色を眺めながら、只々ぼーっとする至福のひと時。皆さんもぜひどうぞ。


             <令和8年7月19日 第145回高槻市民寄席プログラムより>
 
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